
ドーモプラスが注目の男子を紹介する連載企画「レコメン図」。今回ご登場いただくのは、ダンスボーカルグループ「龍雅-Ryoga-」のメインボーカルとしてデビューし、現在は舞台俳優としても活動の幅を広げる「岸本 勇太(きしもと・ゆうた)」さん。4月には「ミュージカル『薄桜鬼 志譚』土方歳三篇」への出演が決まっている岸本さんに、前編では音楽の道に入るまでの意外な経緯と、初舞台となった「B-PROJECT on STAGE『OVER the WAVE!』」金城剛士役への思いについて語っていただきました!
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サッカー少年が学園祭で見つけた夢
――「DANZEN AUDITION 2015」のボーカル部門を勝ち抜いて、龍雅-Ryoga-のメインボーカリストとしてデビューされたということですが、このオーディションを受けようと思ったきっかけについて聞かせてください。
もともと龍雅のようなダンスボーカルグループをやりたいとずっと思っていてオーディションもいろいろと受けていたんですけど、ある程度までは進めても最後までは残れない状態だったんです。当時21歳だったので「年齢的に、そろそろ最後にしないとな」なんて親とも話をしていたんですが、そのタイミングに偶然カラオケ屋で「DANZEN AUDITION 2015」のことを知って。
いっしょにいた友達もずっと音楽の道を目指していたので「2人でこれを受けてみて、どっちが受かっても恨みっこなしで応援しようぜ」という話になり、お互いに応募用の動画を撮りあって書類を送ったんです。
書類審査に受かって、実際にオーディション会場で歌ったりもして、最終審査を池袋サンシャインシティで受けたんですけど、それが公開で行われるもので。それまでにもライブハウスなんかで歌ったことはあったものの、そういう大きな場所で歌ったことはなかったので、四方八方から見られている感がすごくて、めちゃくちゃ緊張しましたね。
――オーディションの段階でいきなり大勢の人の前で歌うのは、相当な度胸がいりますよね。
吹き抜けの広場で後ろからも見られてるし、どこに目線をやっても人がいる状態だったので、目のやり場にも困ってしまって。しかも、カメラも入ってたんですよね。緊張しまくっていて、歌っている最中のことはあんまり覚えてないです。とにかく歌い切ろう、そう思ってました。
――そもそも歌うことに目覚めたのはどういう経緯があったのでしょうか?
歌に興味を持つようになったのが、多分中学生くらいの時ですね。学園祭のステージに友達が出ているのを見て「楽しそうだな」と感じたのがきっかけだったと思います。小学校2年生から高校生までサッカーを続けていたので、部活が忙しくて自分自身ではできなかったんですけど。
小さい頃にはむしろサッカー選手になりたくて、高校に進む時に地元が山梨なのでヴァンフォーレ甲府のユースに入ることも考えたことがあったんですよ。試験にも受かっていたんですけど、中学3年生までが自分の中でのサッカーへの熱量が一番あった時期だったので、考えた末に高校のサッカー部に所属することにしたんです。
というのも、中学校の時のチームが小学生の頃からずっといっしょにやってきたメンバーで、家族ぐるみの付き合いがあるほど絆が強かったんです。数十年ぶりに県大会や関東大会でも結果を残せるほどいいチームだったこともあって、高校進学でバラバラになるのをきっかけに、サッカー以外のことを始める人が多くなったんですよね。僕が歌のオーディションを受けたり、ボイストレーニングに通うようになったのも高校1年生の時くらいからでした。
今でもサッカーは好きなんですけどね。時々サッカーやフットサルはやってますし。ただ、本格的にやるとなると、中学生まではあの仲間がいたからやれたんだろうなと思います。
運命のオーディションで、美容師から音楽の道へ
――では中学卒業と共にサッカーに一区切りをつけて、次の道を考えた時に歌があったんですね。
そうですね、歌がやりたいという気持ちはありました。でも、高校卒業と同時に歌をやるためだけに上京するのはやっぱり怖かったんです。そこで、親が美容関係の仕事をしていたり、子どもの頃からずっと通っている美容室があったりと、美容の世界も自分にとってはすごく身近にあったので、手に職をつけるという意味でも美容学校に進もうと思って。それと並行しながら歌もやろうと思ってたんですけど、美容学校って常に一限から授業があるんですよ……。
――美容学校の学生さんって、たしかに忙しそうなイメージがあります。
朝から夕方まで授業があって、そこからカフェのバイトに行って。接客業を学びたかったし、人と話すのも好きだったので、カフェのホールで働いていたんです。で、終わるのが1〜2時。ひとり暮らしで料理をするのが好きなので、帰りに深夜まで営業しているスーパーにギリギリ滑り込んで食材を買い、ご飯が炊けるのを待ってる間に寝てしまうという……そんな日が多々ありましたね。
学校は2年間だったんですが、そんな感じで生活をしているうちにあっという間に過ぎてしまって、歌はなかなかできなかったです。カラオケは好きだったので友達と行ったり、専門のスクールにも登録はしていたんですけど、週に1度通えるかどうかという感じだったので。
――それでも今に至っているということは、美容の道には進まなかったということですよね?
実は卒業したタイミングで、一度は美容室に就職してるんです。普通だと2年生の夏前くらいから就職活動を始めるんですけど、僕は1年生の夏くらいに「早いに越したことはないから」と友達と会社見学会みたいなものに行ったことがあって。それも、表参道や原宿にお店があるようないわゆる有名店の。
初めてだったし、本当に見学のつもりで出席したら、後でそこから「面接があるので来てくれないか」って電話がかかってきたんですよ。まだ1年生で何も知らない状態だし、もう少し時間がほしかったんですけど、学校の先生に相談してみたら「いいところだと思うから、一応行ってきなよ」と。それで後日行ってみたら、最終面接だったんですよね。
――最終面接!?
ほかの人はド派手なウィッグを作って来ていたりと、すごい感じの人ばかりで、いやもう無理だなって思ってたら、訳も分からないままに合格してしまって。そんな流れで、1年の夏に就職先が決まっちゃってたんです。
――それはまた、予想もできない展開でしたね……。
卒業後は一度その店に入ったんですけど、その時点で20歳になっていて「将来的に歌をやりたいのか、やりたくないのか。お前はどうしたいんだ?」という話になったんです。結局のところ、歌がどうしても諦められない気持ちがあったし、このままズルズルとこの状況を続けていてもきっと永遠にこの夢は付いてくるだろうなと感じたので、それなら一度2年間だけ挑戦してみようと。
それをお店の人に話して辞めさせてもらい、また音楽をやるようになったところに、大きなオーディションがあったので「これを最後にしよう」って受けることにしたんです。それが、この業界に入るきっかけになったオーディションだったんですよね。
――何という奇跡的なタイミング。
ものすごくぴったりでしたね。もしも諦めてしまっていた後だったら、今頃はまだ美容師をやっていたかもしれないです。
「金城として生きたい」役に導かれて演技の世界へ
――では次に、お芝居についてもうかがいたいのですが。岸本さんは「B-PROJECT on STAGE『OVER the WAVE!』」(通称:オバウェ)の金城剛士(かねしろ・ごうし)役で初舞台に臨まれたわけですが、それまでずっと歌に重点を置いて活動してきた中で、お芝居に挑戦してみようと思ったのはどういう気持ちからだったのでしょうか?
この作品と関わるまでは、まさか自分が舞台に携わるとは全然思っていなかったんですよ。でも、龍雅のメンバーに長く俳優をやってる人がいたので、演じることについてそんなに懸念はしていなかったですし、チャンスがあったら飛び込みたいなという気持ちはあったんです。ただ、メインボーカルという立場上、僕がほかの仕事をしてしまうと活動やリリースに支障が出るので、あんまり深くは考えてはいなかったんですね。
それが昨年の夏前くらいから、メンバーそれぞれが個人活動をするようになって、そのタイミングでちょうど僕にも舞台の話が来たんです。グループ内で役者経験がある三谷怜央(阿修悠太役)に「どうしたらいいですか?」って相談したり、話を聞かせてもらったりして。怜央くんといっしょにオバウェに参加できることになったので、心細さは全然なかったですね。
――身近な人が経験者としてそばにいてくれたら、かなり心強いですよね。
彼はとても器用な人で、ダンス経験も豊富なんですよ。オバウェはダンスと歌の要素もしっかりある舞台だったので、そこでも僕なりの金城剛士がきっと見せられるんじゃないかと思って。この作品、そして金城剛士という役だったからこそ「やりたい」って気持ちになったし、実際にやれたのかなという気がしてますね。
最初にお話をいただいた時に「金城剛士ってどんな人なんだろう?」ってすごく調べたんです。昔からあんまり「なんとかなるさ」とは思えなくて「これだけやったから、きっとできる」ってタイプなので、役についても初めに調べに調べて「こういう人だ」って自分の中に落とし込まないと、やり込めないんです。
そうやって金城剛士のことを知るうちに、自分と通ずる部分がたくさんあったし、考え方もリスペクトできるなと感じて。そういう彼だったからこそ「金城として生きたい」と思えたんですよね。舞台をやってみようと決意したのは、多分それがきっかけです。タイミングと役柄にすごく恵まれたなと感じてますね。
――岸本さんのSNSを拝見していても、役への愛が深いなという印象を受けました。
金城って、男から見てもカッコいいなと思うんですよ。すごく不器用で、真面目さゆえに周りに対して頑なさが出てしまうのが分かるので、友達にいたとしても「ストイックだから、そういう考え方を持ってるんだな」って理解できますし。B-PROJECTのほかのメンバーも金城剛士の人柄を分かった上で接してくれているからこそ、あの関係性が成り立っているんだなと感じるんです。
金城が所属しているTHRIVEも、阿修悠太と愛染健十と組んでいるからこそ、ユニットとして成立しているんだなと。それは、今回「B-PROJECT on STAGE『OVER the WAVE!』REMiX」(以下、REMiX)を通して改めて分かったことでした。
THRIVEはREMiXでも初演の時からキャストが変わっていなかったので、怜央くん、藤田富くん(愛染健十役)と話していたのが「“お互いがお互いの性格を全部分かり合った上でのTHRIVE”という雰囲気をもっと出していきたい」「同じメンツなら、もっと高みを目指そう」ということだったんです。だから、歌やダンスがパワーアップしただけでなく、お芝居の部分でも3人の空気感が全然変わっていた手応えがあって。
スタッフさんや、ファンの方からも「3人の空気がすごくよくなってる」とか「本当に仲がよさそう」という声をいただけて、多分それはオフの時にも3人でご飯に行ったりして、そういう関係性が作れていたからだと思うんですよね。このメンバーでTHRIVEをやれて本当によかったです。もしもまた続編があったら、3人でいっしょにもっと上を目指せると思いますね。
役者としての手応えを感じた二度目の舞台
――では岸本さん個人として、前作と今回のREMiXで、役作りや心境の上での変化はありましたか?
前回の初演の時は初舞台だったこともあって、周りを見ることより“金城剛士として生きる”ってことを全力でやっていた感覚でした。ただ、公演が終わってからDVDを観たりしていたら「ここはもっと周りとの絡みや目線に気を遣ったほうがいい」とか「ここはこう動いたほうがよかった」とか、分かったことがたくさんあったんですよ。その時はまだREMiXの話は出ていなかったんですけど、もし次があったら直していきたいと思って、忘れないようメモしたりもしていたんです。
REMiXの時には、まずそのメモを読み直して、アニメももう一度しっかり観ました。前作の時にはセリフに意識が集中していたんですが、こんな時にはどう言うか、どう行動するかというところまで考えながら動くようになりましたし、ただ単にパワーアップするのではなく、立ち振る舞いなど細かい部分でも前作とのちがいを見せることについては、すごく意識しましたね。
実際、共演者からも「ここがすごく金城っぽかった」と、前作で言われなかった言葉をかけてもらって。それは多分、みんなも自分以外のことが見えるようになったから、そう言ってくれたんだと思うし、僕もほかのメンバーのことが見えるようになって「あいつ、あんな芝居してたんだ」とか「ああやってるから、俺もこうしよう」とか、REMiXでは気付けたことがたくさんあったなと思います。
――お芝居というものに対しての理解も、役への理解も深まっていたからこそ、より見えるものやできることが増えていたんですね。
そこが一番ちがった気がしますね。B-PROJECTやTHRIVE、金城剛士をまたちがう角度から見られたというか。だから初演とはアプローチの仕方も変えたいなと思ったんです。金城は声が低くて太い役なので、初演の時にはそこばかりを意識していたんですが、REMiXではどこか艶っぽさが出るようにしてみたり、歌でも曲によって声の出し方を変えてみたり。演出家の方たちにもそういう相談をさせてもらった時に「ここはこうしたほうがいいんじゃないですか?」と自分の意見も伝えられるようにもなりました。
THRIVEのメンバーとも「ここはこういう雰囲気を出したほうがお客さんにより伝わると思う」とか、歌い方についても細かく意見交換していたら、なんだか本当に自分たちがTHRIVEみたいだなと思ったりもして。THRIVEは音楽に対してかなりストイックなグループなので、やっぱりそこを前面に出していきたいというのは3人共通の意識だったんです。藤田くんも「前回よりダンスや歌をパワーアップしたい」って顔合わせの時から言っていましたし、みんながそう考えていたから実現できたんだなと思います。
現在に至るまで、サッカー少年、美容師と意外な道のりを歩んできた岸本さん。舞台のDVDを見返して、役作りの見直しをしたというエピソードから、彼をここまで支えてきたであろう生真面目さと向上心がうかがえました。後編ではこれからの夢やオフの日の過ごし方、アルバイトでの経験についてお話ししていただいていますので、どうぞお楽しみに!
取材・文:古原孝子
Photo:青木早霞(PROGRESS-M)
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