
登山シーズンは富士山頂で働きながら、リアルタイムに現地のコンディションや景色・生活を写真や動画に収め、SNSで発信。
その活動が富士山頂カメラマンとして評判になり、テレビ出演や講演のオファーが絶えない植田さん。
<カメラマンmush>として投稿しているインスタグラムやツイッターのフォロワー数も増え続けています。
山頂だからこその情報を提供している植田さんですが、いったいどんな仕事、生活をしているの?とお聞きしたいことばかり。
働くこと、生きることへの思いを伺いました。
高校生でスノボにはまって、ペンションに住み込み。一石二鳥のバイト生活。
高校生の時のアルバイト経験からはじまる植田さんのお仕事ヒストリーは、非常に濃密。
そもそも富士山に魅かれたのは?カメラを始めたきっかけは?と人生を少しだけさかのぼってお聞きしていきます。
「高校生のときスノーボードにのめり込みました。でも高校生でお金がないので、ペンションの住み込みバイトならお金ももらえてスノボもできると。行動力だけはありました(笑)」。
「道具も一式揃えるとそれなりの値段で、高校生には手が出ません。そんなとき、ボード一式のお金を出してくれた人がいて。自分のやりたいことに協力してくれる人がいる、その人たちにやってあげて良かったと思ってもらえるように。ちゃんと自分が決めたことをやり続けようと、その時思いました。信頼して協力してくれた人の思いに誠実に応えることは、今も自分が最も大切にしていることです」。
「人の温かさで自分は強くなってきましたね」と、自分を信じてくれた人たちに成長させてもらったと話してくれました。
エステティシャンからホテルマン。そしてついにカメラに出会った28歳。
20歳で結婚後、エステティシャンとして働いたことも。
「女性が輝く仕事で、働く人もお客さんもキラキラ。人の喜ぶ仕事はいいなと楽しく働いていたのですが、店が閉店」。
その後、自身の離婚を経てスノーボード中心の生活へ。冬場は休める仕事を探し、4月から11月までは軽井沢などのホテルでリゾートバイトをしていました。
そんな暮らしを楽しみながらも、スノボでプロになれるわけではない、これからどうしようかなと思っている時にカメラと出会ったそう。
「スノーボードで滑り降りてくる自分をカッコよくて撮ってもらったのが、写真に興味を持ったきっかけ。
撮って欲しい人は山ほどいるから撮る側になってみようと。28歳のとき、自己流でカメラを始めました。
スノボをしている友人たちを撮っていると、その写真を雑誌に掲載させてと頼まれ、いつの間にかプロカメラマンということになっていった感じですね」。
DOMO掲載の山小屋スタッフ募集に応募したことから始まった富士山頂ライフ。
お話は、いよいよ富士山との出会いに。32歳のことでした。
「当時、富士登山にはまっていた友人がいて。私自身も興味を持ち始めていたとき、たまたまDOMOに山小屋スタッフ募集が載っていたんです。
電話すると、かなりの力仕事だから難しいと言われて、逆にやる気に火がつきました(笑)。
他に必要なことはないかと聞くとまかないの仕事があると聞き、よし、絶対来年は働いてやる!と調理師免許を取得。
次の年、『調理師免許とりました』って電話したら超ウケてくれて、そこまでして来たいの?って即採用」。
しかし頂上の生活は困難だらけ。登山シーズンは寝ても覚めても人がいっぱい。熟睡できないし、1人になれるのはトイレだけ。
「忙しくて写真も撮れないし、砂埃でコンタクトと目が傷だらけ。雨水がたまらないとお風呂も入れないから、髪の毛が絡まっちゃって。帰りたい!
でも、あの景色、厳しくも美しい、ありのままの自然の姿を見せつけられて。下山後『やはりあそこに戻りたい』と強く思っちゃったんですね」。
頂上のリアルを発信。多くの人が待ち望んでいた価値ある情報。
山頂生活リベンジのため、現地でストレスだった原因をひとつひとつ削ることに。
「コンタクトが不要になるようレーシックの手術をし、髪も短く。自分は写真が撮りたくてきているんだとみんなに伝えて、写真を撮る環境をちゃんとつくる。
したいことをできるように、自分で持っていかなくちゃ。翌年、翌々年も山頂で過ごしました(笑)」。
頂上にいると、高山病にかかる人、適さない服装、あまりに山を舐めすぎた登山計画などを、たくさん見ることに。富士山に嫌な思い出が残って、2度と来たくないと思われるのは心外。
「ガイドブックには気温は書いてあるけど、リアルな情報が少ない。
今この瞬間の頂上はどうなっているのか、伝えてくれる人がいないから。それでSNSで発信するようになったんです」。
富士山の広報官。富士山の魅力を伝えることは楽しく、大きなやりがいに。
その後の2シーズンを御殿場口5合目で過ごし、やはり頂上で情報発信したいと相談すると、
「山頂の浅間神社さんがまかない作れるかと誘ってくれました。
私を入れることで、男性を一人減らすことになる。だから、戦力低下と思われないように力仕事もするし、救助の処置もする。女性の高山病の対応は女性がするほうがいいですしね」。
救助要請が来た時に自分が動けるようにオフシーズンに救助の勉強もしました。
そこまでの覚悟を持って富士山に臨んでいる植田さん。
「働く時には常に、自分が入ることでその職場にプラスワンのメリットがあるようにと心がけています。
自分を選んで良かったと思ってもらえるように。
来年も来てよ、いなくちゃ困る。と言ってもらえるように働く。富士山でも、それ以外のバイトでも同じスタンスです」。
NHKをはじめ在京全テレビ局、報道、ワイドショーに映像を提供。
呼ばれればTVバラエティにも出演。
「富士山のことを知ってもらえる機会ですから、どんどん出ますよ」。
夏以外はイベント運営、SUPのインストラクターなどなど。オフシーズンにはバイトも。
富士山登山シーズン以外はどうしているのでしょうか。
「夏以外はイベントの仕事。御殿場のアコチルという音楽フェスの運営に携わり、100人規模のボランティアの統括なども行っています」。
SUP(ボードの上でパドルを漕いですすむ洋上スポーツ)のインストラクター資格も取得。
キャンプもSUPも、好きで始めたことがいろんな方向につながり、映像関係のコーディネーターの仕事も入ってくるように。
活動をSNSで広めれば、宣伝になるし、仕事も広がります。
いろんなことに挑戦するのが好きなので、「挑戦」「冒険」が仕事の一環と植田さん。安定という言葉は植田さんの頭の中にはなさそうです。
「DOMOは愛読書。『こんな仕事があるんだ』と探すのが好きで、ぼやっとしてるくらいなら、単発の仕事も入れちゃう。
専門的に道を極めている人はすごいと思うけど、私は 未経験者OKという記述に惹かれてすぐいっちゃいますね。未知の分野では、素人だからこその発想を大事にして楽しんでいます」。
今気になっているのは、生まれ育った地元、静岡県榛原郡吉田町のこと。
地域の農家で働いたり、撮影の仕事をしたり。
遊漁船にも乗ってみて、これらを生かして吉田町をアピールできないか画策中です。
「今は、自分のペースで仕事を決められる。好きなことをベースに、人と人をつないだり、人とイベントをつないだり。楽しいことを大きく広げていくのが面白いですね」。
40代、独身。自分の存在価値を模索。活動の目的は恩返し。
「人が嫌がる仕事でも楽しむ方法を見つける、それが面白い。話のネタになりますしね。
人間関係はどこでもいろいろありますが、ポジティブに考えて。
どう対応したらうまく切り抜けられるか、というミッションと捉えて楽しむくらいで(笑)。
いろんな場で自分の価値を見出してくれているとしたら、その恩返しをしたいと思うようになってきました」。
仕事で悩んでいる人には、
「自分もいろいろやってきたけど、経験はいっぱい積んだ方がいい。
で、もし仕事につまったら、外に出て。全く違った景気を見てほしい。一回違う仕事をすると戻った時に見えか方が変わるから。
富士山で、自然の中で仕事をしていると、抗えない。どうにもならないことがある。
そんな時にイライラするのは時間の無駄。しょうがないことはしょうがない、執着は捨てなくちゃ。
人間関係で悩んでいるなら、一旦離れてみるといい。しがみつくことをやめていると開けてくることもきっとありますよ」と多くの経験からアドバイスをしてくれました。
2023年2月2日公開
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