

フリーザ様
オヤオヤ春らしい季節になって来ましたねぇ。ご機嫌いかがですか? ドドリアさん。
――ドドリアさんではないですし……。あの、今日は面倒なのでその口調やめてもらってもいいですか?

フリーザ様
ホホホホ、なにをおっしゃっているのかわかりませんねぇ。私は宇宙一の帝王……
――BANBANBANの山本さんですよね!? これ以上やったら……「怒りますよ」

フリーザ様
そこは「殺しますよ」で来てもらわないとぉ~、山本がまだフリーザを演ってる途中でしょうが!!
――フリーザに「北の国から」の黒板五郎を被せないでください!! 殺すわけないじゃないですか、取材なんですから。

フリーザ様
はい、すいません……。
身長158cm、体重50kg。今まさにドラゴンボールの主要キャラクター“フリーザ”と完全同化している、お笑いコンビBANBANBANの山本正剛さん。
ドラゴンボール芸人の一員としてテレビ・ラジオ番組に出演しているだけでなく、舞台や声優、フェスへのゲスト出演、DJイベント主催、単独ライブ、YouTuber……と、その活動は多岐に渡っています。
現在、順風満帆に見える宇宙一の帝王ですが、若手芸人時代はどんな生活を送っていたんでしょうか。コンビ結成のきっかけ、バイト時代のエピソード、フリーザ誕生秘話などなど。フリーザ様……否、山本正剛さんご本人に直撃取材しました!
吉本興業には“歌”で入った!? BANBANBAN山本が感じていた当時の芸人観
――ではまずコンビのお話から。BANBANBANのお二人(相方は鮫島博己)はともに鹿児島県鹿児島市出身ですが、実際に出会ったのはいつ頃なんですか?
山本:小学校1年生の時ですね。たしか一番最初に声をかけてくれたのが相方だったと思います。
――え~っ!? そんなに早くからつながってたんですか。
山本:たまたま通学路が一緒で。僕の方が学校に近くて、中学校3年までずっと僕の送り迎えをしてもらってた感じですね。付き合いでいったらもう32年くらいになります。
――リアルに同じ道を歩んでるコンビなんですね。どっちもお笑い好きだったんですか?
山本:最初からお笑い好きってよりは、お互いの『夢』がほとんど同じだったんです。小学校の時に「なんになりたいの?」って聞いたら「漫画家になりたい」「一緒だ!」みたいになって。中学は向こうが「プロレスラー」で、こっちは「格闘家」。高校は別々だったんですけど、たまたま会った時に「就活するの?」って聞いたら「芸人になりたい」「え、オレも!」って感じで、ずっとシンクロしてたんですよ。
――まさに以心伝心……。じゃ高校卒業前にコンビを組んだんですか?
山本:いや僕は大阪でやろうと思ってたんですけど、向こうは東京でやりたいってトコで食い違いがあって。しばらくは別々に活動してましたね。
――なるほど。高校卒業後、山本さんは大阪のNSC(吉本総合芸能学院)に入ったんですか?
山本:僕は歌のオーディション組で入れてもらったんです。所属してから芸人としてはオーディションを受けて、歌組としては営業ありますっていうフワフワしたポジションで。
――ん? 芸人じゃなくて歌い手になりたかったんですか?
山本:その頃は明確に芸人ってよりも、タレントになりたいって意識の方が強くて。どんな形でも吉本に入ったらなんとかなるって思ってたんです。実力もカラオケで「上手いね」って言われるレベル。オーディションで披露したら、「キミ歌上手いから、のちのち芸人になれたらいいね」って感じで。
――そんなルートがあったとは(笑)。歌と芸人って、山本さんの中ではつながりがあったんですか?
山本:高校の時、ダウンタウンの浜田(雅功)さんがH Jungle with tってユニットで歌ってるのを見てたからでしょうね。あの頃の浜田さんは「ドラマ」「バラエティー」「コント」「音楽」とかなんでもやってて、すごい楽しそうに見えたんですよ。で、もともとなんの人だろう? って考えたら漫才師さんじゃないですか。「あー芸人になればいろんなことできるんだ」って感じたのが大きかったですね。
知られざるフリーザ芸人誕生秘話! きっかけはバイト仲間の一言だった
――実際、大阪での活動は順調だったんですか?
山本:思うようにはいかなかったですね……。そしたら鮫島も東京のNSC出てから上手くいってなかったみたいで、久しぶりに連絡を取り合うようになったのがコンビを組むようになったきっかけです。24歳くらいですね、僕が東京に移ったのは。
――けっこう時間が空いたんですね。BANBANBAN結成当初に目標みたいなものはあったんですか?
山本:ちょうど先輩芸人の中川家さんが優勝した頃だったので、「M-1で優勝する!」とか「冠番組持つ!」とか、コンビで売れるぞって思いが強かったです。
――若手の頃ってどうしても芸人としての稼ぎが少ないと思うんですけど、東京に来てからはどんなアルバイトをしてたんですか?
山本:相方に誘われて、コンビでカラオケ屋の店員をやってました。深夜バイトだったから、お客さんがいなくなれば空いてる一室で漫才のネタ合わせができるし、なんならそこで寝ちゃえばいいし(笑)。鮫島と同じシフトを入れてって生活が2~3年続きましたね。
――相方さんと仲良過ぎです(笑)。ほかのスタッフとの関係性はどうだったんですか? なにか思い出とかあります??
山本:あーそれでいうと、バイト先にドラゴンボールがメチャメチャ好きな友達がいたんですよ。もともと僕はバイキンマンのモノマネが得意だったんですけど、その友達が声優を調べて来て『中尾隆聖』さんだってことがわかって。「この人フリーザもやってるから、できるんじゃない?」って言われて試してみたら、似てるじゃん!ってことになったんです。
――フリーザはバイト仲間の一言がきっかけだったんですか!
山本:けど、その時はまだ半信半疑で実際にやってみようと思ったのはもう少し後です。お笑いライブの最後の方って告知コーナーがあるじゃないですか、「今度○○に出演しますので来てください」みたいな。そこでフリーザのモノマネを差し込んでみたら、ウケるってよりも会場がキーンってなって。「うわ……スゲー」みたいな感じで。
――クオリティー高すぎたんでしょうね、お客さんが引いちゃうくらい(笑)。
山本:引いてましたね(笑)。その時に初めて「あ、似てるんだ」って自覚して。相方もやったら? って言うし、コスチュームを作ってやり始めたんです。今だとCOSPAってメーカーが正規品を販売してるんですけど、まだその頃は発売されてない時期だったので、白タイツに紫色のをペタペタと貼って自前で衣装を作ってましたね。
店長VSフリーザで山本が揺れた居酒屋のバイト!?
――バイト仲間の一言からフリーザ芸人が誕生したわけですが、「お客さんを笑わせること」と「フリーザのモノマネ」ってすぐにリンクしましたか?
山本:ぜんぜんでしたね(苦笑)っていうのも、僕はドラゴンボールの初期で物語が止まってる人間なんですよ。アニメでいえば、『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボール改』『ドラゴンボール超』の4つに分かれてるんですけど、なんかのタイミングで久しぶりに『ドラゴンボールZ』を見た時に「なんで孫悟空が宇宙人なの?」って引っかかっちゃって。
――見てないうちにどういうこと?って(笑)。
山本:心がぜんぜんついていけない(笑)。フリーザはまだしも、「セルとかブウとか強過ぎだよ」って引いちゃったんですよね。
――わかります。テレビで放送されてたのが高校生ぐらいだと、ちょうどアニメを見なくなる年頃と被りますしね。
山本:本当そんな感じで、ドラゴンボールのことをちょっとしか知らないから僕の中でフリーザが操れなくて。その頃は「殺しますよ」とか「53万」ってフレーズさえ出て来なかったし……なのに、声だけは似てるっていう(苦笑)。
――素質はあるのに、なにもわかってないフリーザ(苦笑)。
山本:ただ“いる”ってだけの(苦笑)周りからは「フリーザのこれやって」とかガンガン振られて、けど僕が操れてないからダメ出しされまくって。にもかかわらず、なぜか次も仕事はフリーザで呼ばれて、なんで呼ぶの!? って思いながら(笑)。そういうのが積み重なって、現場に行くのがどんどんプレッシャーになって……僕、一回パンクしてるんですよ。もう無理だって、半年間くらい芸人を休ませてもらったんです。ちょうどその頃、バイトしてた居酒屋で店長候補までいったんですけど。
――店長候補まで! それはすごいですね。とはいえ、芸人の活動は止まってるわけですよね……その時ってどんな気持ちだったんですか?
山本:普通に店長になりたかったですよ(笑)。年齢も30歳くらいだったし、お店の常連さんとも仲良くなってるし、芸人も引退しようって考えてました。
――だけど、お客さんの中には「フリーザやってよ」みたいな方もいますよね?
山本:います、います! そういうのもあってお客さんが増えたんですよ。で、せっかくだし喜ばせたいからフリーザの語録を調べるじゃないですか。お会計で「53万ですよ」とか「癇に障りますよ」とか平気で言ったりして(笑)。変な話ですけど、芸人の時より居酒屋で働いてる時の方がフラットにフリーザをやれたんですよね。
――お客さんとの触れ合いが山本さんの芸を磨いてくれたと。でも、そこまで居心地良かったら芸人に戻れなくなりそうですよね(笑)。
山本:とはいえ、その居酒屋に知り合いの芸人もちょこちょこ飲みに来るわけですよ。お笑いライブの打ち上げとか、そういうので使ってくれて。そのたびに「戻って来いよ」みたいな雰囲気を出すので、少しずつ口説かれていったのはありますよね。
――ところで山本さんが休んでる間って、相方の鮫島さんはお一人で活動されていたんですか?
山本:はい。しかもBANBANBAN鮫島じゃなくて、BANBANBANってコンビ名でずっと動いてくれてて。それを見た時に「あー、帰るところがあるわ」って思ったんですよね。
――やっぱり絆が深いですね!
山本:ただ、いざ復帰して相方と頑張っていこうとしたら、ベジータとかドラゴンボール芸人としての活動がメインになるっていう(笑)。実際には、まともに相方と活動できない時期がけっこう続いたんですけどね。ともかく、居酒屋のバイト経験がターニングポイントになってるのは間違いないです。
帝王フリーザが個人事業を展開! その名も……『宇宙一』
――ここ最近では、『宇宙一』という個人事業を立ち上げてますよね。なにかきっかけはあったんですか?
山本:ありがたいことにメディアの露出は増えてるんですが、家庭もある中で思うようには収入を得られていないというのが一番です。妻とも相談したんですけど、働きながら子供の面倒を見るにはどうしたら良いかってところで「じゃあ個人で請け負っちゃおう」っていうのがきっかけでしたね。
――WEBサイトに「あの帝王が地球人のお部屋のお掃除をはじめた」と書かれていたのは斬新でした。
山本:そこは「今、会いに行く芸人」みたいな感じでやれたらと(笑)。
ハウスクリーニング中の様子
――ハウスクリーニングだけでなく、タレントの派遣・イベントMC・漫才ライブまで幅広く展開しようと思った理由はありますか?
山本:過去を遡ると、お掃除のバイトをしていたり、BANBANBAN主催で『アニソンディスコ』というDJイベント(定期的に開催されている人気イベント)をやってみたり、ここ1年では YouTubeのチャンネルを作ってフリーザの声優・中尾隆聖さんと共演(2018年3月時点で207万再生!)させていただいたり。素敵な出会いもあっていろんな経験をさせてもらっているので、今のところはそのノウハウをフルに活かして事業に充てられたらと考えてますね。
アニソンディスコ
BANBANBAN山本正剛が説く『働き方のススメ』とは?
――最後になりますが、山本さんにとって“働くこと”ってなんだと思いますか?
山本:お金をもらいながら人とコミュニケーションがとれて勉強できる場所ですかね。怒られることもありますし、喜ばれることもあるし……接客業だと「ありがとう」って言われる場所でもありますよね。
――やっぱりアルバイトの経験は大きかったですか?
山本:大きいですね、バイトをやっていく中で助けられた部分はたくさんあります。バイトきっかけでフリーザやろうってなったし、もう一回芸人に戻ろうってなったのもバイトですしね。人に恵まれたところもあると思うんですが、本当に感謝したりされたりって部分を学びました。
――最後に、夢を持ってアルバイトをはじめようとしている読者の皆さんにメッセージをお願いします!
山本:「自分の楽しみを見つけてバイトしなさい」ってことですかね。よく Twitterとかネットとかで見るんですよ、「うちの会社はブラックだ」とか。もちろん失敗して怒られたってだけで辞めちゃダメですけど、そんなに嫌なら僕みたいに辞めていいのにって思うんですよ。けど、実際には良い環境だから辞めないわけじゃないですか。
文句を言うくらいなら、自分のテンションが上がるところを見つけながら働いた方がいい! 職場に行ったら、“人に会える”とか“笑顔を見られる”とか良いところを探す。僕なんか相方と遊びに行く感覚でバイトやってましたよ?(笑)楽しんで学べてお給料が発生するんだから最高じゃないですか。
この日はインタビュー記事の取材にもかかわらず、こちらの要望を伝えると二つ返事ですっぴんからフリーザ様に早変わり……。やはりというべきでしょうか、山本さんは本当にプロ意識とサービス精神に溢れる芸人さんでした。
インタビューの中でも触れていますが、現在は芸能活動だけでなく、さまざまな経験から得たノウハウを個人事業として展開させるため奔走中とのこと。フリーザ様は一体どんな形で私たち地球人を楽しませてくれるのでしょうか?? 前向きに挑戦し続けるフリーザ芸人・山本さんの今後に期待が高まります!
取材・文:鈴木旭
箱根・湯河原のアルバイト・パートは
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