
ソロギターコンテスト「フィンガーピッキング・デイ」東日本で3年連続最優秀賞受賞するほどの高いギターテクニックに、女性のような柔らかさを兼ね備えた特徴的なボイスのアンバランスさが魅力。ここ最近は音楽活動のほか、役者やYouTuberなどといった方面でも活躍中です。
それでは音楽を始めたきっかけを切り口に、DOMOならではの貴重なバイト話までを伺ってみます!
奥山尚佳のルーツは「所ジョージ」だった?
――奥山さんが音楽を始めたきっかけから聞かせていただけますか?
小6のとき、所ジョージさんに憧れてアコギを買ったのが最初ですね。昔、『デジタル所さん(日本テレビ系列:2000年~2001年)』というアニメがあったんですけど、毎日録画するくらい大好きで。そのエンディング曲にハマってから、所さんの音楽に興味を持ち始めたんです。
――所さんの音楽のどこに興味を持ったんですか?
所さんはユーモラスな曲が多いんですよ。「はだかの豚がいる♪すぶた♪」だけで、1曲おしまいみたいな(笑)。
――小学生のころはそういうシンプルでキャッチなものに惹かれますよね(笑)。
でもなかには、ものすごい泣けるバラードもあって。それで「音楽ってなんでもありなんだ。俺も所さんみたいな音楽をしたい」って憧れたんですよね。
――奥山さんの経歴を拝見すると、15歳から作曲を始めたそうですね。
当時、友達と組んでいたバンドで大会に応募するために始めました。そこから自分たちの曲を増やして、それこそ窓枠さんをメインにライブをしていましたね。
――そのころはバンド活動が中心だったんですか?
17歳まではそうですね。ヤマハ主催のティーンズ・ミュージック・フェスティバル(2006年まで全20回開催された10代限定の音楽コンテスト)で全国大会に出てから解散して・・・。ひとりで途方に暮れていたんですけど、やっぱり音楽は辞められなくて、バンドではなくソロでやっていこうと転向したんです。
――たしかソロでの実績でいうと、最初はK-mix主催「神谷幸恵の独立宣言 ザ☆オ-ディション Vol.2」ですか。グランプリとオーディエンス賞をダブルで獲得する快挙でしたね。
そうですね。いまのプロの音楽がスタートしたのは、K-mixさんのオーディションがきっかけでした。メディアでも取り上げてもらえるようになって、CMの話もいただいたりとか。
――静岡第一テレビの「こんにちはダイちゃんあいちゃん」を担当するなどですかね。
大きいステップでしたね。お茶の間にも広がって、いろんな世代の人に知ってもらえた気がします。
窓枠の社長から「すごい趣味の悪い靴下」のプレゼント
――先ほど窓枠さんの話が出ましたが、せっかくここでのインタビューなので、なにかエピソードがあれば教えていただけますか?
たくさんありすぎますけど、節目で社長が靴下をプレゼントしてくれることですかね。
――靴下をプレゼント・・・ですか?
たとえば、初めてのワンマンは窓枠で、「音返し(2013年)」というタイトルを付けて開催したんです。お世話になりまくっているのになにも返せていないから、成長したところを見せようと。そしたら社長が喜んでくれて、開催前に靴下をくれたんですよ。すごい趣味の悪い靴下を。
――(笑)。でもすごく嬉しいプレゼントですね。
嬉しいですけど、「どこで買えるんすか」みたいなデザインですよ(笑)。ただ心もとないときとか、大切なライブのときとか、その靴下を履くとちょっと安心するんですよね。今日もじつは履いてきていて。
近くにいた社長から「ポールスミスに謝れよ(笑)」とひと言。どうやらポールスミスの靴下のようです。
――ハート模様ですか? 奇抜な色をしてますね。
ですよね。ちなみに最初にもらったのはティーンズのときで、これはワンマンのときだと思います。ティーンズのときの靴下は履きすぎて破れちゃいました。
――でもこれ、想像以上にかわいいです。
あれ、マジですか。俺のセンスが追い付いてないのかもしれない(笑)。
「YouTuber奥山尚佳」とは?
――最近、音楽のほかに「YouTuber」としても活動されていますよね。どういった理由で始めたんでしょうか?
一時期、なにもやりたくなくなって、音楽もギターもSNSもしないような時間があったんです。でも周りに支えてもらって、「もう一度、歌いたい」と思えたとき、小っちゃいやりたいことが山ほど出てきて。
そのときに「やりたいことは人生のなかでいくつもないんじゃないかな」と思ったんです。だったらやりたいことはやりきって、それが俺の音楽になるかもしれないって。そのアプローチのひとつがYouTuberでしたね。
――女装での路上ライブをはじめとして、山でエロ本を探すなど身体を張られていますよね。ファンが増えるきっかけにもなっているんでしょうか?
なってますね。あそこからファンになってくださった方もたくさんいます。だから僕としては音楽活動と切り離れているものではないのかなと思っています。僕という人間を知ってもらうツールというか。
――Youtuberのほかに役者(2015年には映画『ハローゼア』に主演俳優として出演)などもされていますが、それも同じような考えでやっているんですか?
表現にウソが無ければ、全部同じかなと思いますね。やりたいことの判断基準は「好きか嫌いか、ワクワクするか否か」なんです。自分が楽しいと思うことをやり続けられたらと思いますし、ずっとキラキラしていたいんですよ。アホだなって言われ続けたい(笑)。
ふたつの大きな「やりたいこと」
――新しいことへの挑戦が印象的ですが、これから挑戦してみたいことはありますか?
これもたくさんあるんですけど、ひとつはアニソンをつくる人か声優になりたいです。僕は辛い時期は何週間もアニメを見るような生活をしていて、休みの日とかも結構見るんですよ。これにすごい救われていて、日々の根源になっているような節もあるほどで。
――そうだったんですか。声が特徴的なので、アニソンにも声優にも合いそうですね。
本当は「アニメになりたい」ですけど、肉体がある以上は無理ですよね。でもアニソンか声優だったら肉体を持った状態でアニメになれる気がして。だから楽曲制作のお仕事とかは、経験を積むために積極的に引き受けてますよ。
もうひとつだけ。やりたいことを全て取り入れた総合芸術を提供していきたいです。
――音楽を含めた総合芸術ですか?
歌とギターはもちろん、お芝居なども含めた表現ですね。音楽だけでなく YouTubeもお芝居も何にでもチャレンジできる今の自分がいるのは、映画監督であり演出家の鈴木研一郎監督に出会えたことがとても大きかったんです。今では奥山尚佳の世界を表現するには欠かせない人物。
だから、2016年に開催したワンマンでは作・演出に鈴木研一郎監督をお迎えして、一緒に好きなことを思い切り詰め込んだ総合芸術の舞台を作り上げました。BGMや効果音はほぼ全て自分のギターで表現、そしてスチームパンクの舞台美術、ダンサー、役者、パーカッショニストにも登場してもらったんです。

鈴木研一郎(Kenichiro Suzuki)
静岡県出身。映画監督・演出家。相手の魅力を見定め「演出する」ことをベースに、幅広く活動を展開する。映画、舞台、ラジオドラマなどの演出のほか、アーティストプロデュース、CDデザイン、広告デザイン、スチル撮影、映像投影などを請け負う。作詞/作曲家としても活躍するマルチクリエイター。
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――まさに総合芸術ですね。お客さんの反応はどうでしたか?
もうすごかったです。今までと違うものを提供してるから、喜び方の種類も違うんでしょうけど。「すごいものを見てしまった」「本当に来てよかった」「異世界に連れていかれた」みたいに言ってくださって。
――ライブで「異世界に連れていかれた」なんて感想が出るんですね。
そこなんですよね。僕がアニメの異世界に救われてるので、舞台では自分が異世界を表現して非日常を味わわせてあげたいと思ってます。「これが奥山だ!」っていうワクワクするものを提供したいですね。
「それでも自分の輝ける場所はある」
窓枠のステージで特別にソロギターを披露していただきました。
――それではDOMOならではのお話として、今までのアルバイトからエピソードを教えていただけますか?
それこそDOMOさんにはお世話になりまくって、コンビニ、飲食店、派遣とか数えきれないくらいやりましたけど・・・。途切れた時期もありながら5年くらい働いた工場の話があります。
――工場で働いていたんですね。
僕は指先と爪で弾くフィンガーピッキングという奏法でギターを弾いているので、右手の爪が長いんですよ。爪が原因で辞めることもあって、できるだけバレない職場を選ぶようになってましたね。
奥の手が「爪の長い右手」。※人差し指だけ割れています。
――その工場ではどんなエピソードがあったんですか?
最初は音楽活動のことを黙っていたんですよ。休みの理由がライブとかだと、あまり理解されないと思っていたので。でもK-mixのオーディションでグランプリを獲ったあたりから、ラジオから曲が流れることが多くなって。それこそテレビCMの「だいちゃんあいちゃん」とかもですね。
――もしかして職場の人が気付いたんですか?
そうなんです。ある日、「あれはおっくだよね?」と言われちゃって。バレたなら仕方ないと思って、洗いざらい話したら意外とみんな喜んでくれたんですよね。CDもみんなで買ってくれましたし、ワンマンライブにも何十人とかで来てくれて。
――それはすごいですね。職場のみんなで来てくれるなんて。
どうしてもみんなから見た僕は作業服のイメージがあったと思うんですけど、ライトが当たったステージでパフォーマンスしている姿を見てもらえたのは、なんか自分と向き合ってくれた気がしましたね。
――とってもあたたかい話をありがとうございます。
まあ、でも大変なこともありましたよ。いじめられちゃったこともありましたし、向いてないところにかなり無理しながら行くとか。でもたくさんやったら自分に合った環境が見つかって、あたたかい職場に出会えましたね。そういう意味でもDOMOさんにはお世話になってます。
――そう言っていただけると嬉しいです。最後に読者のみなさんにメッセージをいただけますか?
そうですね。僕自身はすごい不器用な人間で、特に人付き合いは苦手なんです。みんなの流れに乗れなかったり、空気が読めなくて輪を乱しちゃったり、学校や職場に上手く馴染めなかったり。
でもいろんな場所に赴いて思ったのは、それでも自分が輝ける場所があると。逆に学校で超イケイケだったやつが職場に入ると目立てなくなったり、部活のダメダメだったやつが絵を描いたらカリスマになったり。そういうことはあると思うんですよ。
自分の生活している範囲が世界の全てじゃないから、いろんなところにどんどん出て行って、自分が輝ける場所を見つけてほしいです。僕にとってのそれはステージであり、画面の中だったんですよね。
インタビュー中、笑顔が印象的だった奥山さん。赤裸々に話していただいたエピソードのなかには、いまでは想像もつかない過去もありました。それでもこうしてキラキラしていられるのは、挑戦を続けて輝ける場所を見つけたから。彼の音楽に救われる人がたくさんいる理由もここにある気がします。奥山さんにはとっても大切な「生活を楽しくするヒント」をいただきました。
取材・撮影:ドーモプラス編集部、吉松京介